どうも、最近「右」と「左」と言う言葉をよく間違える佐藤和亀です。
先日こういったエピソードがありました。
友人と食事をしている最中の会話。
SNS上に誰か知らない人が踊っている動画をアップしていたんですね。
友人は「どうしてこんなに下手なのに映像アップできるんだろうね?」と言っていました。
確かに僕から見ても上手とは言えるダンスではありませんでしたが、僕にとって大事なのはそこではなかったんですね。
僕が感じた点は2つあります。
1つ目は、“評価の基準”です。
映像の彼のダンスの価値は、どうやって決まるのでしょうか?
踊っている本人が決めるものではありません。
それは、そのダンスを見た人がどう感じるかが全てだと僕は考えてます。
例えば、動画を見たAさんは「めっちゃ上手!かっけー!」と思うかもしれないし、Bさんは「へたくそじゃん!」と思うかもしれません。
どういう人が動画を見るかはわからないので、動画を投稿する側はそれを考慮する必要は無いのです。
逆に言えば、踊り手は自分のダンスが満足のいくものでなかったとしても、それを見て胸を打つ人がいるかもしれません。
だからこそ、挑戦すべきだと僕は思うんです。
もちろんダンサー自身の、よりかっこよく踊るための努力は大前提ではありますが。
 2つ目は、動画を投稿したチャレンジ精神です。
僕もYouTubeやSNSに動画や写真を投稿しています。
一概に全員とは言えないと思うのですが、少なくとも僕は自分の作ったコンテンツを投稿するのに“怖さ”を感じています。
これを見た人はどう思うんだろう?
面白くねーな、こいつ何やってんの?
自分が労力を費やしたものについて否定されるのが、とても怖くて送信ボタンを押すのに勇気が必要でした。
否定されて傷つくのにびびってたんですよね。
僕はそういったふうに思っていたので、発信をすると言うこと自体をすごいことだと感じています。
自分が踊っている動画を投稿すると言うこと自体ができない人も少なくないのではないでしょうか。
それを行っている彼はダンスがうまかろうが下手だろうが、カッコよく僕の目には映りました。
挑戦している姿は輝いていて美しいですよ、ほんとに!
こういった理由から、“低評価がつくのを恐れて行動しないと言うのはもったいない”と思います。
ダンスと言うジャンルだけでなく、様々な分野で自分を表現し発信していくと言う事は尊いことですので、多くの人々のチャレンジすることの気持ちのハードルが少しでも下がればうれしいです。
これからも僕も様々な形で表現・パフォーマンスをしていこうと思いますので、楽しんでいきましょう!
以上です、ではまた!